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田中英和先生のワールドダンス

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1989年のはなし 「ホールドに始まってホールドで終わる」

1988年の冬のパーティが終わり、再び渡英。クリスマスもお正月も返上で練習とレッスンの毎日。長期留学で得たものをベースに年明け早々のスターボール、そしてUK選手権に向けて勢いに乗せたいと思いつつも、またしても手応えを感じるようなダンスができない日々の連続でした。
「3カ月で一応の成果が出せる」という先輩ダンサーからの「時間的」なアドバイスを鵜呑みにした自分の愚かさを悔やみながらも、結局は「自分との戦い」の真剣度がまだまだ未熟だっただけのことに気づくこともなく、だんだんと追い込まれた気分でいたのです。人生そんなに甘くはないのです。
踊れない事はないのですが、レッスンではどのコーチャーも「Not Bad(悪くない)…」を繰り返すだけ。他人に負けまいと背を伸ばし、肘を張って思い切って動き回って勝負を挑む気持ちとは裏腹に、一向に良くなって行く実感がないまま時間が過ぎて行ったのです。
どうして良いか明確な方向性も見い出せないまま、いよいよコンペが近づいてくる時期になり、今度は、コーチャーたちが「あること」を口を揃えて指摘し始めたのです。
「右アームが変」
そうなるといよいよ細かいところばかりが気になってしまい、ますます調子は下がるばかり。勝負に挑むような強い気持ちはおろか、まともに踊れるような状態ではありませんでした。
スターボールも敢えなく撃沈、肝心のUK選手権も踊りに集中出来ず、午後の部で無様に終わってしまうという悲惨な結果に。失意のドン底でロンドンに戻り、出国の準備を始めなければなりませんでした。最悪の状態です。
そして英国出国前、最後に一つ残っていたレッスンに足を運んだのです。が、何を隠そう、それこそが、その後のダンス人生を一気に世界の舞台に飛躍させるきっかけとなったことを告白しなければなりません。それは元世界グレートチャンピオン、ジャネット・グリーブ先生のレッスンでした。
彼女も当然、UK選手権で私のダンスを見てくれていた一人だと思いますが、そのレッスン早々、ジャネット先生はいとも簡単に「右手の場所とその決め方が変なのよ」と指摘。その修正された瞬間の右肩、右腕、右手の繋がりの心地良さと言ったら言葉では言い表せないものでした。もちろん、それまでも同じように指摘をされ、何度もトライしたはずにもかかわらず、コンペ前のプレッシャーなのか、ストレスなのか、レッスンを素直に受け入れていなかったのでしょうか。「ドン底」に落ちて初めて素直になれた瞬間だったのかもしれません。最後の最後に「一筋のかすかな光」が射した感じでした。
帰国便のフライトの中でもエコノミーの座席に浅く腰掛け、右アームの「微かな」繋がりを無くすまいとホールドし続けたものです。それこそそれは「蜘蛛の糸」。無くしてしまったら、切れてしまったらそれで終わりですから、その時は「必死」でした。他の乗客の方々やキャビンアテンダントには「変な日本人」と思われたことでしょう。
帰国後直ぐのスクリブナ杯で何とか初優勝させてもらいながらも、まだアームの不安定さは克服出来ずじまい。スーパージャパンカップでも全く歯が立ちません。3月初旬の選手会パーティを終えた直後に再び渡英。3カ月の英国での練習とレッスンの日々が始まったのです。しかし、今度は「左アームが変」との指摘。3カ月にわたる左アームとの挌闘が始まったのです。
角度が変、グリップがおかしい、広すぎる、狭い、高い、低いなどなど、レッスンを受ければ受けるほど「変な左」を修正することばかり。これといった解決策も見つからず、あっという間に2カ月が。自分の両腕の不具合にこれほどまでに悩まされたことはありませんでした。
4月末から始まった前哨戦に全て挑戦するも、手応えは全く無し。全英ライジングでファイナルに来そうな選手には大きく水を開けられ、「ああ,今年もチャンスはないか」と諦めムードでブラックプールへ移動。
初日のライジングのラテンは早々と終わり、土曜の朝の練習も気まずいムード。ところが日曜日、ブラックプールタワー内のボールルームで練習の時に、ふとジャネット先生の「右アームと左アームとの関連性」の話を思い出したのです。それを素直に実行してみると、なんと苦もなくどんどん踊れるではありませんか! 友人のカップルからも「絶好調じゃん!」の評。1月に苦しみ喘いだ「右アーム」とブラックプール前の2カ月以上も挌闘した「左アーム」との関係が、大会の前日に微かであっても繋がった瞬間だったのです。世界にチャレンジ出来るホールドが形を見せ始めた瞬間だったのかもしれません。
月曜日。いよいよプロライジングモダンの日。忘れもしません、当時の全英の名司会、アービン先生がコンペの最中に一選手に声をかけることなどあり得なかいのですが、準決勝を前にしてステージ横ですれ違い様、「タナカセンセイ〜キョウハスッバラシイ!」と声をかけてくださったのです。結果は第5位入賞。そして帰国後の日本インターナショナル選手権で、初のファイナル第4位の成績を収めることができたのです。
今は亡きビル・アービン先生のおっしゃった『ホールドに始まってホールドに終わる』の言葉そのままに、ホールドの良し悪しが私のインプルーブの大きなポイントだったのです。〝たかがホールド、されどホールド″。「3カ月が1クール」という時間的な上達パターンは私には当てはまりませんでしたが、それこそ本気で「必死」になるまでの1年半、なんと「5クール」もの時間が必要だったのです。
しかし、ライジングスターという「登竜門」をくぐっただけであって、実際そこから本当の勝負が始まったのです。
(つづく)

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プロフィール

  • 田中 英和

    生年月日:8月9日
    出身:広島県広島市出身
    経歴:1997年2月にアデール・プレストン選手とカップルを組み、5月の全英選手権で日本選手初の第3位表彰台に輝く。「ヒデ&アデール」の愛称で国内外の大会で活躍し、翌98年の全英選手権5位入賞を最後に現役を引退。以降、審査員、コーチャーとして後進の育成にあたっている。また、本誌でも、7年にわたって連載レッスン「ナチュラル・ダンシング」シリーズを執筆し、大好評を博した。
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