競技ダンスへようこそを読みました!
昨日奥山ダンスの坂口豪先生からこの本を受け取り、一時間で読み切った感想。埼京線の車内ですすり泣いた。泣くような話ではないのはわかっていたのだが、この本は私のパンドラの箱を開けてしまった。
私の青春だ、実に鮮やかに思い出される日々。
わたしはこの部に少し変わった入り方をした。
ALL一橋大学競技ダンス部に入りたくて体育大学を選び、上京したのだ。
先生に習うことやお金がかかることも知っていたし覚悟もしていた。初心者ながらどんな踊りがしたいか信念があった。
入部前に既にサテンのシューズを買っていた。
新しいシューズは先輩の洗礼(必ず汚される)を受けたが、それは先輩達が私を受け入れてくれたマゾ的な嬉しさを感じたのを覚えている。
私はとにかく学連に入りたかったのだ。
あのキラキラしたものに手が届くと思ったから。
上が見えるからやりたかった。
入部して同い年の主人と出会った。可愛い男の子だった。お互い将来この人と結婚すると思ったらしい。
運命的な出会いとなった。
私の代はカップルカップルは組めないと言われていた。
私はラテン人として血の滲む努力をした。
この本を読んで固定の発表の日のことまで思い出して吐き気がした。
固定は組んだものの彼と私は折り合いが悪く、彼は二ヶ月くらいで失踪してしまった。
こうなることは目に見えていた。
私以外の子と組んでいたら、彼は4年間ダンス部を全う出来ただろう。
私たちは結局カップルを組んで一度だけ試合に出て終わった。
お互い見るのも嫌で、本気でヒールで彼の足を踏みつけてやった事もある。あの日の彼の顔は未だに覚えている。怯えた目。
それから彼は失踪した。
手の届くものは何も無くなった。
目標も無くなった。
学連エリート街道を爆進したの主人とは真逆の、砂を噛むような毎日だった。
これも地味にきつかった。
主人は出る試合ほぼ優勝した男だ。
オナーダンスは見飽きるほどに笑
主人が先導したフォーメーションも優勝、最後は冬全団体優勝まで取った。
しかし、驚くほど何の感情もなかった。
疎外感しかなかった。
そのフロアに何故私が立っていないのだろう。
部活を続けたのは意地だ、プライドだ。先輩への当て付けだ。
冬全の祝勝会の傍らで私に謝罪をしたいと先輩達は次々に土下座をした。
惨めだった。
その後私は自分の手で競技ダンスの世界で居場所を見つけた。
仕事も結婚も出産もあったし、ダンスも変わらず大好きだから、結局今は誰も恨むこともなく部活の事など10年位忘れていたのに。
この本を読んだら、最後の冬全の日に後輩にもらった薔薇の赤の鮮やかさまでが思い出された。それを私の親代に投げつけたあの時の感情が押し寄せてきた。
辛い辛い私の青春だった。
続