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田中英和先生のワールドダンス

コラム&本誌企画

「全英選手権」を審査して

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今年93回目を迎えた「全英選手権」。我がダンス人生を少しばかり振り返ってみますと、全英選手権に初挑戦したのが30年前の1988年のこと。翌89年にライジングスターで5位に入賞し、90年に準優勝、91年に念願の優勝を果たし、94年にはついに全英オープンで初のファイナリストに。アデールと組んだ97年には全英で日本人歴代最高位の第3位の金字塔を立て、翌98年の第5位入賞を最後に、あのウィンターガーデンズのフロアで引退を表明することができました。もう20年も前になるのですが、つい数年前のことのように思い出されます。

引退後は2008年と2014年の2回、大会期間中の開催されるエキジビションコンペの審査を担当し、16年はチームマッチでアジアチームのチームキャプテンを務め、17年は4度目となるインターナショナルコングレスでレクチャーをさせていただきました。そして今年、由緒ある伝統の全英選手権の、しかも「夜の部」の審査パネルに名を連ねる栄誉を賜り、5月25日金曜日のプロライジングスターラテン/シニアボールルームを皮切りに、最終日のプロボールルームまでの全競技の審査を担当させていただきました。

今回「夜の部」のジャッジパネルには、レン・アームストロング氏、ドニー・バーンズMBE氏、ロバート・グローバー氏、カレン・ヒルトンMBE氏、バーバラ・マッコール氏、デビッド・シカモア氏、ブライアン・ワトソン氏、クリストファー・ホーキンス氏と、今回初のマイケル・マリトウスキー氏、リリア・コピロバ氏と私の11名。日本人としては、ピーター・マクスウェル氏がチェアマンのとき、桜本和夫氏が初めて携わって以来二人目となります。

ブラックプールでの成功を夢見て選手として必死にチャレンジした10年間。選手として夢にまで見たブラックプールファイナリストとなり、引退してから観客として最前列に座れる権利を得、そして今回は審査員として、会場が一体となるスタンディングオベーションを目の当たりにしながら、予選、準決勝、そして最高のファイナルをジャッジさせていただきました。その緊張感や感動は、選手としてファイナルを踊ったときのそれとはまた違ったもの。今回は審査員として、全身がゾクゾクする、あのなんとも言えない「感動」を再び味わえたことは感無量、ただその一言に尽きます。

今回も大いに盛り上がったフェスティバルでしたが、特筆すべきことは、プロラテンにおいてリカルド&ユリアが全審査員から全種目1位をマークされるという完全優勝を遂げ、プロボールルームのアルーナス&カチューシャも、リチャード&ジャネット・グリーブに並ぶ8連覇を達成したことでしょう。

もちろん予選から準決勝、そして決勝へと進むほどにカップルのバトルは凄みを増し、そのバトルをさらにヒートアップさせたのが、エンプレスオーケストラの迫力ある演奏。40曲近くにものぼる新譜の音楽は、会場全体の気持ちを高揚させるに十分なパワーがありました。渾身のダンスとパワフルな音楽の融合によりに、自然と大きな拍手が沸き起こることもしばしば。ダンスと音楽が会場を一体化させる素晴らしい大会で、「これぞブラックプール!」と言わしめる93回大会だったように思います。

 

歴代のファイナリストから受け継がれてきた

「ブラックプール」に対する熱い想い

また、ブラックプールダンスフェスティバルの最終日、プロボールルームの競技開始の前に、主催者による恒例のジャッジランチがありました。これは全英最後の日に、全審査員を労うオフィシャルランチパーティ。そこでは初めて全英のジャッジに選ばれた「新人」によるスピーチがメインイベント。わたしも初ジャッジの一人として招待され、最後を飾ってスピーチをさせていただきました。

日本人が初めて全英にチャレンジしたのが1963年(昭和38年)で、故桝岡肇・故栄子先生と篠田学・雅子先生の2組が参加。その2年後の1965年に篠田先生が日本人で初めてのファイナリストになられたのです。それ以降、毛塚鉄雄・山本千恵子先生、毛塚道雄・雅子先生、故石原市三・佳代子先生、斉野友次郎・松村有希子先生、故田中忠・故節子先生、鳥居弘忠・瑤子先生、中川勳・詠子先生、桜本和夫・智美先生、石原久嗣・由美子先生、故桜田哲也・鈴木美代子先生、天野博文・京子先生、篠田忠・富子先生と私の日本人歴代ファイナリストの名前を全て紹介し、プロ部門においては今でも全出場の約30%のエントリーを占めるなど、日本人のブラックプールに対する思い入れの深さは昔も今も代わりはないことを強調させていただきました。

その日本勢の結果ですが、50歳以上スタンダード部門で松村健樹・栄子組が、一昨年の準優勝に続き今年もファイナル4位に入賞。最終日のプロボールルームで橋本剛・恩田恵子組がベスト24に駒を進め、日本惨敗のイメージをやや払拭してくれましたが、依然として日本選手の成績低迷は続いているというのが現状です。

しかし、ブラックプールに対する先輩から脈々と受け継がれてきたこの強い思いが続く限り、近い将来、必ずや日本から再び「全英ファイナル」を踊る選手が出現することを信じて止みません。野球やサッカー、テニスや水泳などの競技で、日本人アスリートが世界で大活躍している昨今。ダンスの世界でもそれは大いに可能性のあること。世界に大きく羽ばたく選手が育つことを祈っています!

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プロフィール

  • 田中 英和

    生年月日:8月9日
    出身:広島県広島市出身
    経歴:1997年2月にアデール・プレストン選手とカップルを組み、5月の全英選手権で日本選手初の第3位表彰台に輝く。「ヒデ&アデール」の愛称で国内外の大会で活躍し、翌98年の全英選手権5位入賞を最後に現役を引退。以降、審査員、コーチャーとして後進の育成にあたっている。また、本誌でも、7年にわたって連載レッスン「ナチュラル・ダンシング」シリーズを執筆し、大好評を博した。
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